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Joseph Alfred Lamy

1900 /

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ジョセフ・アルフレッド・ラミー(父親) (1850-1919)は20世紀初頭の著名なフランスの弓製作家で、ラミー・ペール(父)として知られている。フランス北東部 ヴォージュ県のミルクールでえ1850年に生まれる。12歳から18歳までシャルル・クロード・ニコラ・ウッソンのもとで見習いをし、その後1877年から1885年にかけて フランソワ・ニコラ・ヴォワラン の元でパリで働く。1868年にシャトー=ティエリでゴトロの工房に参加し、フランソワ・ニコラ・ヴォワランと出会う。1876年、ヴォワランの助手となるためにパリに移り、1885年に ヴォワランが亡くなるとフォブルグ・ポワッソニエール通りで自身の工房を創業。その後、長男 ヒッポリュテ・カミーユ・ラミー と甥 アルフレッド・ラミー が家業を承継する。自作の弓の刻印は「A. LAMY A PARIS」。


ラミーは伝統を忠実に守りフランスの弓作りで一時代を築いた。1889年、パリ博覧会で銀と金のメダルを獲得。息子 ヒッポリュテ・カミーユ・ラミー(1876-1944)は1919年に父が亡くなるとその伝統を継承。またヴォワラン同様、ラミーは ジャン・バティスト・ヴィヨームから影響を受け、ヴィヨームモデルの作品を1886年から1890年まで頻繁に製作した。1880年頃までに職人の多くは一貫してより重くてしっかり感のあるモデルを目指し始めた。ラミーの円熟期は1889年から1890年にかけて始まる。この頃より彼のモデルはスティックや毛箱のボリューム感がわずかに増し、その特徴がより明解になる。ラミーはヴォワランの作品の材料や重量における特徴を継承した。ユージン・サルトリーはラミーの弟子。今日、ラミーはこの世代の最も優れた弓製作家の一人と考えられている。

この弓は、金・黒檀作りのとても希少な、博覧会のために特別に制作されたExpoボウ。バランスが良く、スティックのどの部分でもとても滑らかな弾き心地が得られる。とても演奏しやすく、大きな音量を生み出す、作者の卓越した技量が存分に発揮された作品。

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